平成七年頃より社会問題となっている第三次覚せい剤流行の問題は、一時期のマスコミのセンセーショナルな報道も陰をひそめ、高校生や中学生の覚せい剤使用が新聞で報道されてもさしたる驚きではなくなってきている。この数年で、青少年の薬物問題は日常のありふれた問題として特別な意味を持たなくなってきているようである。
覚せい剤の流行さえも日常化されるなかで睡眠薬や安定剤などの向精神薬、ライターガスやガスボンベなどのガスパン、市販の咳止め薬など、薬物乱用・依存そのものが確実に低年齢層を中心に広がりをみせていることについては、充分な関心が払われぬまま今日に至っているようである。
長い間、諸外国に比べ日本は薬物問題を含め犯罪の少ない国であるという認識が一般的であり、施策者も日本が講じてきた犯罪・薬物問題への対策は優れたものであるという自負があり、諸外国との薬物事犯の犯罪統計比較などからも、それは疑いようのない事実に思われていた。
しかし、高度経済成長以降の社会・文化的構造の急速な変化とその変化によってもたらされたひずみは、未成年の殺人事件の頻発、青少年を中心とした薬物汚染、援助交際という名の売春、重大犯罪検挙率の低下などの形をとって「安全な国日本」の神話を揺さぶり始めている。
ダルクと関わり薬物依存者の回復支援にたずさわるなかで見えてきたものは、この「安全な国日本」の神話の陰に切り捨てられ積み残されてきたドメスティック・バイオレンス、児童虐待、性暴力被害、さまざまなアディクション(依存)問題などの多くの問題と、その中でもがき苦しみ援助の手が差し伸べられることを待っている人々の声であった。これらの問題が、複合し時代の波を受け薬物乱用・依存という表現をとって社会に出現することは、すでに諸外国の公衆衛生学や社会学の研究によって実証され広く知られていることである。この事実をもとに諸外国では、薬物問題への対策が講じられ実験的な多くのプロジェクトが行なわれている。そのなかで大きな役割を担ってきたのがセルフヘルプ・グループと治療共同体(Therapeutic Community)などの当事者による回復支援活動である。
ダルクは、日本における薬物問題への対策に当事者として疑問を呈し、未成熟な形ながらも欧米の治療共同体のスタイルを導入し、その存在意義を世に提示してきた日本で唯一の民間薬物依存回復施設である。
一九八五年に東京にダルクが誕生して以来、ダルクやNAのプログラムを通して回復した薬物依存者によって、その活動拠点は全国二〇カ所以上に広がっている。ダルクの歩みとその意義について振り返り検証することは、今、そしてこれからの薬物問題への対策に大きな示唆を与えるものであると思われる。
ダルクの誕生とその経緯については、開設者の近藤恒夫氏(日本ダルク代表 APARI理事)の著書などに詳しく書かれており、割愛させていただくこととするが、その経緯がもつ意義について触れたい。
ダルクは、一九八五年の開設当初においては必ずしも明確なコンセプトを持っていたわけではなかった。近藤氏によれば、MAC(アルコール依存者の自助グループ)の活動に携わるなかで薬物依存者も回復の場さえあれば回復できるという思いと、薬物依存者がNAにつながっていくための場が必要であるとの考えによって、ほとんど無計画のままその活動が開始された。この行動先にありきの活動スタイルは、意図したものでないにせよ以下のような意義を持ってきたと思われる。@日本における薬物政策の概念に縛られなかったこと。
A当事者活動であることを前面に押し出したこと。
B公的助成を受けられない反面、医療や司法の補完的役割をとらずに済んだこと。
C欧米型の治療共同体をモデルとしたため、活動初期から日本国内よりも海外からの評価が得られたこと。
Dあいまいな組織であるがゆえに位置付けされにくく活動の制約が少なかったこと。
Eダルクのプログラムが極めて簡素なものに変化していったこと。ダルク開設当時は、日本には「薬物依存者のリハビリテーション」という概念そのものが存在せず、当然薬物政策上も薬物依存者のリハビリテーションを念頭に置いたプロジェクトは皆無であった。
薬物依存者の当事者活動は一九八〇年にNAが誕生したばかりであり、そのわずか数年後に欧米の治療共同体をモデルとした回復者主導型回復施設が突如誕生したことは、行き詰まりを見せてきた薬物政策に対し大きなインパクトを与えるものであった。
NAの活動によって「覚せい剤中毒者」「ヤク中」と蔑視されてきた人たちが、回復の主体として「薬物依存者」と名乗り始め、その概念がダルクの誕生によって多くの当事者や関係者に広がっていくこととなり、薬物問題の概念を見直すきっかけを与えたといっても過言ではない。
また、現在でこそ「カミング・アウト」という言葉は日常用語化してきてはいるが、一九八五年当時に薬物依存者がカミング・アウトし、社会資源として活動を開始したことは、その後の当事者活動に極めて大きな影響を与えたと思われる。
いっぽう医療・司法・行政は当事者活動の位置付けに戸惑い、どの機関も一定の距離を取らざるを得なかったため、結果的にはどの組織の影響も受けることなく当事者活動としてのスタンスが守れたことは幸いであったといえる。このため、薬物やその周辺問題に関わるさまざまな人たちが個人としてダルクの活動に接し、これらの関係者の間に交流や連携が生まれることとなった。情報拠点として果たしてきた役割は非常に大きいといえる。
一二ステップ・プログラムを基礎にしているため、ダルク自身も組織が拡大し圧力団体化することを嫌い、新たなダルクが誕生しても緩やかな組織化(連携)にとどめ各施設の独自性を重視する方針をとってきた。この緩やかな組織形態は、それぞれの施設が活動を展開する地域の状況に合わせてそのあり方を模索することとなり、結果的にプログラムに多様性と柔軟性を生み出させることとなった。
薬物依存の治療共同体の原型は、一九五八年にカリフォルニアで創設された「シナノン」に遡る。回復にはミーティングに加え共同生活が有効であると考えたAAメンバーのひとりによって設立されたこの施設は、活動初期には現在においても評価できる有効性を示しながらも、厳密性と閉鎖性ゆえに徐々に変質し、結局カルト集団化し閉鎖に至っている。
しかし、一九七〇年代にシナノンの活動は再評価され、その後の治療共同体の誕生に多くの示唆を与えた。ダルクの一五年を振り返ると、ダルクがシナノンと同じような道を辿る危険性はあったように思われる。ダルクの場合には、シナノンのことを意識したわけではないと言いながらも開設の早期に近藤氏が管理スタイルを放棄し、プログラムを「一日三回ミーティングに参加する」という極めて簡素なものに切り替え、組織として、管理者としてプログラムをドグマ化することを回避した功績は大きい。
開設の経緯はさておき、その後ダルクの社会的認知は予想以上に広がってきている。ダルクが広く認知されるようになったのは、地道な活動の成果に加え、一九九四年頃より社会問題化した第三次覚せい剤流行と呼ばれる未成年を中心とした薬物乱用の広がりである。
極めてゆっくりとしたペースで進んでいた関連機関との連携の流れを変化させたのは、教育現場からのニーズであった。学校現場での薬物汚染に危機感を抱いた教師たちの依頼によって学校からの講演依頼が来始め、その講演を聴いた教師らの口コミによってダルクへの講演依頼が殺到するようになった。本来予防機関ではないダルクに予防講演の依頼が殺到するのはおかしなことではあるが、教育現場が当事者の体験の重要性に着目したことによって地域の社会資源としてのダルクの存在が注目されるようになっていった。
薬物問題は、さまざまな問題を包括するモザイクであるため、ダルクはさまざまな領域にまたがった活動展開を行なうことを要求されてきたといえる。そのため、ダルクとは何かという問いに、簡潔に答えるのはたいへん難しい。ダルクの社会的意義を整理すると、以下のようなものであるといえる。そのどれもがダルクの存在意義であるが、どれかひとつではダルクではないところにこの組織の潜在的な可能性があると考えている。
当然、本来ダルクが負うべきではない社会的な役割も含まれ、それによる問題も存在しているわけであるが、その問題すら黎明期の社会資源として乗り越えていかねばならないことなのかもしれない。<ダルクの社会的役割>
[社会的意義] @当事者活動、NGO A一般市民への薬物問題の啓発 B社会損失減少[医学的意義] @薬物依存の治療共同体としての実験的試み A薬物依存リハビリテーション概念への注目 Bアディクション問題の情報拠点 C初期介入システムとしての機能 D回復者カウンセラーへの注目
[司法的意義] @ダイバージョン(非犯罪化)への注目 A薬物事犯の弁護支援 B出所後のケアプログラム C薬物の需要と供給の減少
[福祉的意義] @社会復帰支援 A精神保健の相談支援 Bネットワーク
[教育的意義] @学校における予防教育支援 A教員への講演活動
社会的意義として、ダルクは当事者によって運営されるNGO(非政府組織)であり、日本において初めての薬物依存を専門とした回復施設としてパイオニア的役割を担っていること、従来一般市民には馴染みの薄かった薬物という問題を出版物、フォーラム、マスメディアなどを通して身近な問題として啓発を行なっていること、依存者の回復がその依存者によって引き起こされるであろう社会損失(医療費、裁判費用、受刑コスト、労働力の損失など)を軽減していること、などがあげられる。
とくに注目すべきことは、ダルクのプログラムが単に薬物の使用を止めることを目標としておらず、人間性の回復を目指している点である。それによってアディクションの世代間連鎖を防ぐことによる将来的損失の防止として、長期的にその効果が期待できるのである。
この点において、従来の管理型の強制断薬を主とした医療や、懲罰による抑制効果の短期的効果とは大きく視点が異なっているといえる。
医学的意義としては、薬物依存の治療共同体としての実験的試みとして、極めて古典的であったそれまでの薬物依存の治療概念を近代化させたこと、とくに薬物依存リハビリテーション概念への注目を高め、薬物依存に対する精神医療の治療限界を提示すると同時に、回復支援という医療サポートのあり方を提示してきたこと、フォーラムなどの活動を通して薬物依存のみならずアディクション問題の情報拠点としての役割を担い、その活動を契機に地方にさまざまなアディクションからの回復を目指すセルフ・グループが誕生する原動力となってきたこと、相談の窓口が開かれたことによって、初期段階での医療介入が可能となったこと、日本ではほとんど注目されていなかった回復者カウンセラーの社会資源としての価値を認知させてきたことなどがあげられる。
一九九九年の精神保健福祉法改正によって、精神医療にとってダルクの存在意義はさらに増加すると予想される。この改正とダルクの活動への影響については後述したいと思う。
司法的意義としては、以下のようなことがあげられる。欧米では薬物自己使用事犯に対して処罰よりも治療を優先することを目的としたダイバージョン(非犯罪化)が行なわれてきており、この受け皿としてダルクへの期待が高まっている。
日本の司法政策は重罰化の方向で推移してきてはいるもののリハビリテーションなしには薬物事犯の再犯防止は困難であるとの意見が法律家の中でも強まってきている。ダイバージョン実現の可能性を模索していく上で、司法処遇を受けた薬物依存者のリハビリテーションを行なってきたダルクの実績は、今後の薬物事犯の処遇を検討する重要な材料を与えている。
薬物事犯の弁護支援として裁判での情状証人として意見を述べたり、出所後にダルクが受け皿となることで再犯の防止を支援するケアプログラムとしても機能している。
また薬物依存者が回復することによって、薬物の需要(売人)と供給(薬物使用)は減少するため、薬物問題の抑制という役割を果たしている。
福祉的意義としては、従来ほとんど未整備であった薬物依存者の社会復帰に寄与していること、行政機関の精神保健相談において敬遠されてきた薬物問題について、直接または間接的な支援を行い相談機能を向上させてきたことなどがあげられる。
平成一〇年度より全国の精神保健福祉センターが薬物問題の相談・指導の中核的役割を担うことになったが、初年度の相談関連事業として三九%(一八カ所)のセンターがダルクとの連携を挙げていたことからも、その存在意義の大きさが伺われる。また、薬物問題の社会資源ネットワークが整備されていない現状において、ダルクのもつ人脈と経験の蓄積へのニーズが高まってきている。
教育的意義としては、先述した学校における予防教育への寄与と教員への講演活動を通した啓発があげられる。本来、予防機関ではないダルクに講演依頼が殺到すること自体が、これらの問題についての社会資源の貧困を象徴しているわけであるが、教育現場に薬物問題の新しい視点を持ち込んだことは、長期的な視点から考えると教育界とダルクの双方にとって有益なことであると思われる。
一九九九年六月、「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(精神保健福祉法)の一部が改正され、覚せい剤慢性中毒者に関する準用規定(四四条)が廃止されるとともに、依存症者が精神障害者に含まれることが明確化された(五条)。
この改正で重要なことは、それまで精神医療・福祉行政のなかであいまいであった依存症を、医療を必要とする「傷病者」であると同時に、福祉を必要とする「障害者」として医療・福祉の援助対象として明確に位置付けたことである。
一九九八年の精神保健福祉法に関する専門委員会(厚生省)の議事録の中で、改正前の精神保健福祉法では「依存・慢性中毒にあたる人は法の対象から原則除外されており」「覚せい剤慢性中毒者については、本来は精神障害者ではなく精神保健福祉法の対象外であり」「現在の精神保健福祉法において、薬物依存脱却のための社会復帰策は講じていない」ことを厚生省の担当者が説明を行なっている。
しかし、そのことについては、とくに問題があることとしては取り上げられていない。また、これらの問題に対しては、本来司法が行なうべきことであり精神保健福祉の領域が積極的に取り込むべきではなく、社会保安上、しかたなく精神医療が引き受けていると解釈できる説明がなされている。
また、「法を犯した者である覚せい剤の慢性中毒者と薬物中毒者を精神障害者と同列に扱っていることが精神障害者全般に関するイメージを悪くして、精神障害者に対する差別偏見を助長すると、当事者家族会等からの意見もある」という理由をあげ、精神保健福祉法より「慢性覚せい剤中毒」を精神保健福祉の対象として準用する条項(四四条)の廃止が検討されている。
この議事録を見る限り、厚生省は薬物依存問題に対する精神保健福祉の対象拡大には極めて消極的であった。しかし結局、改正案では、依存症は精神保健福祉の対象と明確化されたのである。その経緯には、薬物政策そのものの議論よりも医療政策と社会的圧力によるところが大きかったように思われる。
現在、全国の国立病院・療養所が独立法人化に向けて準備をすすめる中で、政策医療として薬物依存・中毒性精神病の診療の拠点となることを求められており、その対応について模索が始まっている。
また、新潟県の国立療養所における拘束中の患者死亡事件や、かねてより患者人権保護に問題があることを指摘されながら、行政・警察の下請け的に薬物依存者の治療を行なっていた民間精神病院が廃院においこまれるなどの問題がマスコミでも大きく取り上げられた。これにより精神保健福祉法による患者人権保護の強化と法の厳密な遵守を行なうべきであるとの動きが高まってきていた。
いっぽうで各地のダルクは、本来法の対象とされていない薬物依存を行政との交渉によって精神障害者グループホームや精神障害者作業所の認可を受け障害者福祉の枠に乗せることを実現した。茨城ダルクにおいては、住民の反対運動で断念することになったものの、援護寮の開設にあと一歩のところまでこぎつけるなど福祉対象として存在を認められてきていた。
そのような中で、全国に先駆けダルク・NAと連携し開放型の薬物依存治療プログラムを導入した国立肥前療養所では、急増する薬物依存ケースの精神保健福祉法における位置付けのあいまいさに苦慮しており、精神障害者の定義(五条)に依存症を明記する必要性を感じていた。
この臨床現場の声を法律改正の審議に持ち込んで交渉された国立肥前療養所の内村英幸所長の尽力がなければ、今回の改正で、依存症が医療・福祉の対象として明確化されることはなかったかもしれない。
九州地区では、九州ダルクの誕生とその活動の広がりによってアディクション問題への関心が高まり、精神医療に大きなインパクトを与え、回復支援を主点に置いた治療・援助の動きが始まったといえる。国立肥前療養所の取り組みは、ダルク・NAとの連携に始まっており、今回の法改正に果たしたダルクの役割は大きく評価されるべきであろう。
どのようないきさつであれ、法が改正され「薬物依存を含む依存症」が保健・医療・福祉の対象となり、精神保健福祉法で定められたところの精神障害者の人権保護、社会復帰事業の受益を受けることが可能になったことはたしかである。今まで各自治体の判断にゆだねられてきた薬物依存の社会復帰事業に、正式に法的な根拠が与えられたわけである。
これにより、ダルクがグループホームや作業所として認可されることが現在より容易になるであろうし、回復した薬物依存者が精神障害者地域生活支援センターなどの新たな社会資源を立ち上げることも可能となったといえる。また、保健・福祉事業として公的助成を得る根拠を得た意義も大きい。
精神保健福祉法は精神分裂病を核に考えられてきた経緯があり、法改正に対する実際の現場の理解や運用はすぐには変化しないかもしれない。当面は法と実際の運用の間に、開きが出現するであろうことが予測されるが、長い経過でみれば、ダルクそしてそのプログラムによって回復した人たちの意欲次第で、当事者活動の大きな力となることは間違いないと思われる。
平成一〇年度より、厚生省の厚生科学研究事業「薬物依存・中毒者のアフターケアに関する研究」において、ダルクが分担研究者として参加し、ダルクの現状や問題点、回復に関する調査研究を行いその報告がなされている。このような大きな研究に、薬物依存の当事者が参加し提言を行なうことは以前では考えられなかったことであり、研究成果がどのように政策に反映されるか今後の展開が注目される。
この報告書の中で、以下のようなダルクの抱える問題が挙げられている。・各施設の財政は多くの苦難を抱えていること。・入寮費の本人および家族負担が大きいこと。・生活保護の受給者が三四%と高く、生活保護支給額も低レベルに押さえられており、ダルク・NAの活動が公的に評価されていないこと。・スタッフの養成は重要課題であり、研修プログラムや体制を財政を含めて確立すべきであること。・ダルクのもつネットワークは偏りが大きく、回復施設としての認知を関係機関に衆知し、有効な連携をはかる必要があること、などである。
これらの問題以外にも、薬物依存に他の精神障害を合併した重複障害ケースの対応、未成年者とくに義務教育中の薬物依存者への対応、薬物依存を抱える家族の回復支援体制の確立など、さまざまな問題が累積しているのが現状である。
これらの問題のなかには、ダルク自身の取り組みだけでは解決できないものも多く、さらに広い領域からの支援と知恵が必要であろう。依存症が精神保健福祉の対象となったことは、ほんの小さな一歩に過ぎない。アディクションの回復支援に携わる現場から見れば、さらに推し進めて従来の精神保健福祉の考えにとらわれることなく、回復モデルを主軸としたアディクション(病的依存)という枠組みをつくり、精神障害者の枠から独立したものとしていく必要性を感じている。
回復支援の最前線の現場に身を置く者と施政者の温度差は小さくないし、その差を埋めていくことは容易ではないだろう。それであっても、毎日どこかのダルクにたどり着いてくる新しい仲間のために、回復の道を広げていく努力を少しずつ積み重ねていくしかないのである。その積み重ねによってさらに時代のニーズに近い医療・福祉が実現されていくことを期待している。
最後に、これらの問題への気づきと行動への力を与えてくれたダルク、NA、そして回復の道なかばで天国に迎えられていった多くの仲間に心から感謝し、この文章を締めくくりたい。