ダイスケ

36歳 咳止め・鎮痛剤・アルコール

Interview :2002/4/22

薬を始めたきっかけ

 18歳くらいのとき、好奇心から市販の咳止め薬を飲んでみたのが最初でした。そういう薬を飲むと気持ちよくなるという情報を、当時どこから入手したのか、残念ながら覚えていません。たしか雑誌かなにかだったような気がします。そのときは一回きりで、止められなくなるというようなことにはなりませんでした。
 私の場合はもともと酒の方に問題がありました。大学のとき仲間と一緒に飲み始めた酒の量が、私だけ異常になったのです。酔って暴れるようなたちの悪い酒ではなかったのですけれども、仲間と飲んでいて気付くとその場で寝ていたり、周囲に迷惑を掛けるようになってしまった。申し訳なくて、一人酒をするようになった。そうしたら深みにはまってしまったのです。
 アルコール依存症の治療で入院した病院に、AAのメッセージが頻繁に来ていました。そのお蔭で自分が依存症だと知ったのが、最初のターニングポイントでした。
 退院後、みのわマックに通所してアルコールは止まりました。結婚して家庭を持ち、酒も薬も使わないクリーン生活を送ったのですが、3年後に離婚が決まった頃から、薬を使い始めてしまったのです。
 孤独と向き合うのが辛かったのかもしれません。

家族との関係

 家族は父と母と妹です。関係は比較的良好だと思いますね。そう思っているのは私だけかもしれないけれど(笑)。私が使うのは市販の咳止め薬や鎮痛剤ばかりで、法に触れて処罰されるようなことがないのでまだ救われているのかもしれません。しかし、薬を買うためにサラ金に130万円くらい借金を作ってしまい、それを返済して貰ったので、お金に関しては親に迷惑を掛けてしまいました。
 借金は全て薬を買うためのものでした。依存がひどかった頃の私は85錠入りの咳止め薬の箱を一回に3〜4箱飲んでいました。カフェインが大量に入っている薬ですから、眠れなくなります。その睡眠障害を、やはり市販の鎮痛剤を大量に飲んでごまかすというような毎日でした。
 借金を親に見つかったのが、薬物依存症からの回復を志すきっかけになりました。薬をやめられなくなってしまったことを正直に親に打ち明け、病院に3ヶ月入院しました。退院後、横浜の中間施設に入寮して、回復プログラムに繋がったのです。
 母が家族会のプログラムを受けています。子供と共依存関係にならず、自分の問題に専念するよう提案を受けているのでしょう。セミナーなどで会ってもあまり話しません。でも両親は病気と闘っている私のことを信じて応援してくれていると思います。

スリップ経験

 市販の薬に依存してしまうと、止めるのが非常に大変です。違法薬物は刑罰などの社会的制裁が大きな抑止力になりますが、市販薬にはそれがありません。欲しい薬を近所の薬局で大量に売っていて、誰にも咎められずに幾らでも買うことが出来るのですから。そのため、私の場合もこれまでに何度かスリップ(薬の再使用)を経験しました。
 横浜の施設に入寮したときは3ヶ月でアルバイトを始め、8ヶ月で就職し、円満退寮することができました。このときは非常にうまくいったのです。しかし、一生懸命にやりすぎた反動が出てしまったのか、退寮してから3ヶ月でスリップしてしまいました。
 次に入寮してからはスムーズにはいかなかった。ただ施設に寝泊りしてミーティングに出続けるだけの生活にストレスを感じて2回目のスリップをしてしまいました。酒を飲んでしまったのです。
 横浜の施設長に勧められて、アパリに移ってきました。以来、今日まで5ヶ月、酒も薬も止まっています。アパリに来たばかりの頃は「ああ、また最初からプログラムのやり直しか」と嘆かわしい気分になりました。しかし、人里はなれた施設で回復に専念できる環境は私には適していたようで、わりと落ち着いた心境で現在は生活できています。

ミーティングについて

 ミーティングは正直にいうと好きじゃないです。もともと一人でいつも行動する方で、仲間ナカマというタイプじゃない。あまり人と話すのは好きじゃないし、仲間の話を聞いているのも嫌い。ミーティングは必ず出席しているけれど、指名されて話し出しても「俺の話つまんないんじゃないかな」と思うと、もうそれで話ができなくなっちゃう。
 ミーティングの1時間半の間、ずっとその場にいることができないんですね。遅れてきたり、間を抜けてしまったり、いてもすぐに退屈してしまう。マズイなとは思うのですが、今は自分にとって苦しくならないようなペースで参加することにしています。
 ミーティングの大切さはよく分かっているんです。最初にスリップしてしまったときは、忙しくてミーティングに出られなかったのが原因でしたから。これだけ長い間プログラムをやってきて社会復帰ができずにいると「プログラムが自分に合わないんじゃないか」とか「このままじゃ永久に社会復帰できないんじゃないか」とか焦ってしまうことがある。そんなときにミーティングに出て内面の葛藤を吐き出すことができると、ほっとします。いろんなものを抱え込みすぎて苦しくなって薬を使ってしまうのが私の病気なのです。この病気はやっぱり一人じゃ回復できないとつくづく思いますね。

農作業プログラムについて

 この1ヶ月に取り組んできた畑作りがついに完成しました。何人かの仲間とスタッフと協力して、小松菜、大根とかトマトなんかを作っています。
 石の多い場所なので手間が掛かりました。石をどけて、畝を作って、耕して、杭を打って・・・。石だらけの土をふるって小石をどけて選別するのがとくに大変だった。ゆっくり、体がきつくないように時間を掛けてやりました。
 生ゴミを使っての有機肥料作りに仲間がチャレンジしています。収穫は、一番早い小松菜が2ヶ月後です。楽しみですね。
 なにか随分と頑張ってやっているように皆に言われるんですけど、ぜんぜんそんなことないんですね(笑)。始めたきっかけもスタッフに頼まれたからで、「暇だし、まあいいか」 なんて感じで。進んでやっているわけじゃない。土いじりをするのは好きですけど。ゴロゴロしているよりはいいかなっていうくらい。だから「薬に代わる楽しみ」に畑作りがなったかといわれると、それほど大げさなものじゃないですよ。
 でも、いま振り返ってみると、病気がひどかった頃は何をやっていても楽しめなかった。正直な話、薬をやっていても楽しくなかったです。薬をやっていないと自分を維持できないから仕方なく、むりやり薬を詰め込んでいたって感じだった。趣味があったらあんな風にはならなかったのかも知れないけれど、当時は趣味なんかなかったし。
 畑ができたのは嬉しかったです。石だらけで何もなかったところに何かができたっていうのは、達成感がありました。
 やりたくないことを無理矢理やらされるのではなく、興味をもったことをやらせてくれる施設のスタッフの姿勢は有難いですね。

アパリのチャームポイント

 静かなのがいいですね。孤独の中で自分を見つめ直せる環境です。私のようなタイプが回復するには、自分の時間があった方がいい。年中仲間とべったりしているのは好きじゃない。いま2人部屋で暮らしていますが、相部屋の仲間のRさんも物静かな人です。
 いつも何かに追い立てられていて、薬を使って余計に落ち着かなくなって、仕事も手に付かなくなってしまった頃のことを考えると、この環境を与えてくれる施設には感謝しています。今は落ち着いて回復に専念できていますから。

今後の展望

 自立した社会生活はやって当然のことで、それが出来ていないのは恥ずかしいことだと思っています。それがなんで出来ないのか、それはやっぱり病気なわけです。依存症は簡単に治るものじゃなく、油断すればすぐに再発する一生ものの病気ですから、焦らずにやっていきたいですね。
 治ることばかり考えるのではなく、かといって病気に漬かってしまうのでもなく、病気を自覚しながら、それとうまく付き合いながら生きていく。その先に本当の自立があるのではないかと思っています。