ヒロユキ
29歳 覚せい剤・大麻
Interview :2002/4/20
事件について
本来ならば僕は薬物に手を出さなくてもよかったのです。それまでに一年間、薬物の使用は止まっていたのですから。どうしてあんなに簡単に元の状態に戻ってしまったのか・・・。悔やまれてなりません。これが依存症という病気なのですね。
私の両親の実家は北海道にあります。従兄弟の法事で北海道に行ったとき、ほんの暇つぶしのつもりで薄野の繁華街の合法ドラッグ屋に入りました。その店に、覚せい剤に混ぜて使うと効きがよくなるという怪しい薬を売っていました。
それを見た途端、覚せい剤に対する猛烈な欲求に襲われました。精神病院に入院して以来、一年間懸命に薬を断ってきたのに、たったそれだけのことでいとも簡単にスリップしてしまったのです。その合法ドラッグを購入し、東京に帰るなり知り合いの売人から覚せい剤を買って、もとの薬漬けの生活に陥ってしまいました。
僕が初めて薬物に手を出したのは21歳の頃です。それからは、金銭的に余裕があればすぐに薬を買って使う生活を送ってきました。
27歳の時、覚せい剤をやっているのが親に知られ、精神病院に入院しました。退院してからしばらくは薬を使わずに我慢しましたが、一年後にスリップしてしまいました。警察に逮捕されたのは、薬を使って新宿で夜遊びしていたときのことです。銀行で金を下ろし忘れてコンビニのATMで引き出そうとしたのですが、21時30分を過ぎていたので出来ませんでした。ポケットの中には小銭しかなくて、公園で野宿することに決めました。その公園で警察官に職務質問されて、ポケットの中の覚せい剤を発見されてしまったのです。裁判の判決は懲役1年6月、保護観察つきの執行猶予5年でした。
家族の状態
逮捕された後、2〜3日の間は父親は面会にきてくれませんでした。とうとう面会に来てくれたときの父の顔を思い出すと悲しくなります。あんなにやつれた父の表情を見たのは初めてでした。
両親から見放されてしまったのかと絶望しかけていた僕でしたが、とんでもない話でした。夜も眠れないほど父は心配してくれていたのだと思います。
何週間か後、母も面会にきてくれました。面会室の窓越しに、泣くまいとして母は必死に涙をこらえていました。いっそのこと泣いたり怒ったりしてくれた方がどんなに気が楽だったでしょう。あの時の母の表情は今でもまぶたに焼き付いています。
精神病院を退院してからは、朝型の生活を心がけ、早起きして家族みんなでニュースを見ながら意見交換をしたり、良いコミュニケーションが取れていたのです。僕が薬でスリップして全てが台無しになったことで、家族がどれだけまいってしまったことか、想像すると暗い気持ちになります。頑張って安心させていただけに、家族に与えたショックは尚更大きかったのではないかと思います。
「もう一回だけチャンスをやる」と父は言ってくれました。精神病院に再入院するものだと僕は考えていたのですが、父が選んでくれたのはアパリというこの施設だったのです。
病気についての気付き
とことん薬にハマっていたのは25歳の頃です。その当時から薬物依存という言葉は知っていました。でも、自分は薬をコントロールして使えると思っていたし、自分には関係のないことだと思ってあまり深くは考えませんでした。しかし、そのうちにいつの間にか、やめたくても薬をやめられなくなっていた。「これが依存か」と頭では分かっていて、「どうにかしなけりゃ」という焦りはあるんだけれども、どうしようもない。理屈で分かっていてもどうにもならない。これが依存症という病気の怖さだと思います。
「やめたい」という考えがそれでも浮かんでいたのは、この頃まででしたね。精神病院に入院した27歳の頃になると、思考回路が完全に狂ってしまって、「やめたい」という考えすら浮かばなくなっていた。どうしたら安く薬を買えるか、安全に使えるかなど、何をするにも薬のことしか考えられなくなっていました。
プログラムとのつながり
僕はダルクやNAのミーテイングを馬鹿にしていたんです。精神病院に入院する前、横浜ダルクに2カ月くらい通所したことがありました。しかし、一人っ子で育って仲間と何かを分かち合った経験の少ない僕は、仲間の前で自分の話をするというのがどうしても苦手でした。入寮して集団生活をするというのも抵抗があって通所を選びました。ところがダルクの通所では仲間は出来ず、孤独を抱えたまま僕は薬のスリップを繰り返し、とうとう精神病院に入院することになりました。退院後しばらくはクリーンでいられましたが、結局はスリップしてしまったのはお話しした通りです。
アパリのプログラムに繋がって、施設長から最初に言われたのは「薬物依存者は我が強いんだ。君に会ってまだ何日かしか経たないけれど、君も相当に我が強いタイプだね」という言葉でした。それを聞いて、「そうなのか・・・。そうかもしれないな」と、素直に受け入れている自分がいました。
僕の場合は拘置所から藤岡に直行でしたので、それが良かったのだと思います。拘置所を出て、病院や自宅を経てからアパリに繋がっていたら、またいつもの我の強さが出て「スタッフの言うことなんてなんだよ」と反発していたかもしれません。拘置所で、自分の犯した罪や事の重大さということを考えていたので、アパリの東京事務所のスタッフや藤岡の施設長を前に「この人たちの言うことを素直にやっていたら間違いはないだろう」と思うことが出来たのです。
人見知りの強い性格なので、藤岡での最初のミーテイングは本当に緊張しました。これから何ヶ月も仲間たちと生活していくのに、何をしゃべったらいいのか・・・。結局、簡単な自己紹介しか出来ませんでしたが、話し終わると皆が一斉に拍手してくれました。その瞬間、ジワーッと氷が解けるような温かみに包まれるのを感じました。
ミーテイングの成果
自分の心の内面、薬物への欲求とか個人的な悩みとかを吐き出せる場があって、それを聞いてくれる仲間がいるというのはありがたいことだと思います。でも、僕の場合はまだどうしても人見知りが強くて、あまり積極的に発言はできませんね。努力はしているのですが、どうも構えてしまうんです。しかし人の話にはじっくりと耳を傾けるように心がけています。いろいろな人がいて、同じような話ばかりを繰り返す人もいますが、心の中で批判したり適当に聞き流すことだけはしないようにしています。人の話を聞くというのは、これがなかなか難しいことなんですね。感情をいれず、いい加減でもなく、フラットな姿勢で聞く。プログラムを通じて、自分の場合はこれが格段に上達したような気がしています。
プログラムに繋がる以前の僕は、人の話が聞けなかったんです。感情のアップダウンが激しくて、すぐに人を裁いてしまっていた。でも今はそれが随分なくなりましたね。今、施設で僕は2人部屋で生活していますが、ルームメイトは僕よりもずっと年下の仲間です。明るいヤツで、ちょっと生意気なところもあったりして、いつも仲良くふざけあっているんですが、薬を使っていた頃の僕だったら絶対にキレてしまっていただろうと思うような冗談でも、全然気にならず、なんでもなく受け流せるようになった。これは本当にプログラムとミーテイングのおかげだと思っています。気持ちに余裕を持てるようになったんですね。
他人と自分を比較するのって、あまり好きじゃないんです。他人は他人、自分は自分という考えが強いんですね。だから、仲間の話を自分に照らし合わせて聞くということはしません。「色んな考えの人がいるなあ・・・」という感じかな。でも、最初のうちは僕の心にはやはり否認が強く働いていて、「俺は薬をそんなには使っていない」とか、「俺はそんなにおかしくなっていない」とか考えていた。嘘ばっかりでしたね。今では仲間の話を聞いていても「ひょっとしたら俺のほうが病気はひどかったのかもしれないな」と素直に思えるようになった。仲間の話がいろいろな「気付き」を知らず知らずのうちに与えてくれているんですね。仲間の中でも、年上の人たちの話がたくさんのパワーをくれる気がします。薬で前科を負ってしまった人、刑務所に行って苦しい思いをしてきた人・・・。いろいろなつらい思いをしている分、僕の状態に対して率直な意見を言ってくれたりする。警察や検察の取調べでいじめられて傷ついていた心が癒されたのは、先行く仲間たちがいたわってくれたからだと思います。相部屋の若い仲間の存在も大きいですね。一人でいるよりもずっといいかな。くだらない話ばっかりしているんですが。暇なときにくだらない話を聞いてくれたり、受け止めてくれる仲間がいると「ああ、やっぱり俺たちは薬を止めるために支えあっているんだな」という気持ちになります。
自己との対話
一人っ子育ちのせいなのでしょうか、「仲間のお陰で薬が止まる」というのは、どうも僕には分からない。何をするにしても最終的には自分だという考えが僕には根強いんですね。僕の薬が止まっている最大の原因は、やはり藤岡の恵まれた環境のお陰じゃないかと思う。山の中で、薬を売る外国人もいないし、スリップに繋がるような誘惑がほとんどない。静かな落ち着いた環境の中でゆっくりと過去を振り返り、考えをまとめる事が出来る。東京のような大都会でこういう入寮生活を送るとしたら、仲間が支えあってクリーンが続くというのも分かる気がするんですが、藤岡の施設生活で大事なのは自分自身との対話じゃないかと思う。
今後の展望
やはり僕は親のことを第一に考えてしまいますね。これまでの僕は、親孝行なんて、まったくしたことがありませんでした。さすがに今回は反省しましたね。いっぺんに恩返しなんてとても無理だけど、今はとにかく薬を止めること、依存症から回復することが最大の親孝行になるんだろうと思っています。「親のために薬をやめたいと言うのは本物じゃない。自分のためにやめたいと思わなきゃ」と言ってくれた仲間もいます。でも、今の僕にとっては、僕のことをとことん心配して応援してくれた両親の気持ちを第一に考えることが、僕自身のためになるに違いないと信じているのです。
今後の生活で、薬に変わる楽しみを何にしていけばよいかと言うこともいろいろと考えます。これが今の僕にとってはもっとも大切なことだし、喜びでもあります。まず第一に、精神病院を退院した後の頃のような、両親との語らいを復活させたい。
父が先日、面会に来てくれたんです。「いつ頃アパリを出たらいいのかな」と聞いてみたら、「焦る必要ないよ。今はじっくりと時間をかけて再出発に備えることが大切だ」と言ってくれました。「判決が出てから2ヶ月くらいは入寮生活を送ってごらん」と入寮したときに施設長が言っていたことを考えると、きっともうすぐですね。父と話して、退寮後は北海道に移り、一人暮らしをすることになっています。東京で暮らしていたときの感覚では、一人暮らしといわれたら「やった、一人だ、薬を使いたい放題だ」となっていたはずなんです。しかし今は違いますね。自分が一番落ち着ける空間を作ることに対する夢みたいなものがどんどん膨らんできています。きちんと働いて、家具なんかも少しずつ買い揃えて・・・。薬を使わずに、シラフでいても落ち着ける空間を作りたいですね。一人でいるのが好きな性格で、その辺は今後も変わらないと思います。新しい生活では、仕事をして、休みの一日をどう過ごすか、リラックスタイムをどんな風に作っていくか。それを考えているのが今、すごく楽しいんです。こういう感覚は、プログラムを受ける前には浮かびませんでしたね。
アパリに対する意見
藤岡の施設は、薬で荒れ果てた精神状態を落ち着かせて静養するには最高の環境だと思います。ただ怖いのは、2年でも3年でもいようと思えばいられてしまう場所なので、何も考えずにいればここにずっといてもいいやという気持ちになってしまいかねない。生活意欲を失ってしまいかねないと言うか・・・。長ければヤバイとか、短ければヤバイというんじゃなくて、あくまでも本人の気の持ちようなのかも知れませんが、僕の場合は、3ヶ月暮らしてみた今、失ったものをかなり取り戻せてきたような気がしています。