シン
27歳 覚せい剤
Interview :2002/4/22
施設につながるまで
俺の家は、お父ンとお母ンと兄貴と俺の4人家族。施設に入寮する前は俺は金沢で一人暮らしをしていた。俺の病気を知ったお父ンが、
インターネットでアパリを調べて、半ば強引に繋げてくれたのがきっかけだった。去年の8月のことだ。
金沢での俺は資格を取って左官の仕事をしていた。その仕事を止めたとき、岡山に帰って来いと家族に言われたけれど、俺は帰らなかった。惚れた女がいたんだ。その女のそばを離れたくなかった。
それから仕事を探して、新しく就いたのは居酒屋の接客。もともと人間関係は苦手な方だったから、仕事が原因の気疲れは多かったと思う。
左官屋の現場にいた頃から薬は使っていた。初めて使ったのは22〜23歳くらいだったかな。たしかゴールデンウィークの頃だった。金沢から名古屋まで夜中に友達二人とドライブしたんだ。そいつらが薬を買った。覚せい剤だった。
車の中で二人が薬を使い始めたとき、好奇心からそいつらを俺は見ていた。一人は注射、一人は銀紙の上でアブっていた。
「シンもやるか?」っていわれて、断れなかった。断ったら何をされるか分からないっていう怖さがあった。怖がっていると思われるのも嫌だったし。やってみたいという好奇心も、もちろん強かった。「じゃ、ちょっとだけ・・・」って、注射してもらった。スコーンと、一発でハマったね。「なんじゃあ、こりゃ!?」って感じで、それからは3日くらい眠れなかった。こんなにいいものがあったのかと正直、びっくりしたよ。
しばらくは遊び感覚で使えてたんだけどね。気がついたときには、給料をもらうたんびに買いに行くようになっていたね。タバコと同じ感覚で、朝起きて一発打って仕事に行く。食後の一服みたいな感じで、一発。いつでも自分の力で止められると思っていたから、気軽にバンバン打っていた。でも、気軽だったのは自分ひとりでね。俺がおかしくなっているのを周りの人たちはみな、分かっていたんだ。
つきあっていた女と別れたときのことは、いま思い出してもつらい。クスリをすごく嫌がる女だった。いつだったかクスリの話になった時、「昔は俺も薬を使ってたよ」って言えたのが精一杯だった。そのとき彼女は、すごく嫌な顔をしながら「でも、今は使っていないんでしょ」と言った。それ以来、彼女に対しては、自分がクスリを止められないことを打ち明けられなかったな。
ある日、彼女に電話で言われたんだ。
「シン、最近なんか言ってることおかしいよ。クスリ使っているでしょ」
そう聞かれてつい、正直に答えたんだ。「やってるよ」って。そうしたら、ガチャンって電話、切られちまった。それっきりさ。
ショックなんてもんじゃなかったよ。生きていく望みを失った。俺は女に依存してしまう性格なんだ。その頃は分からなかったけれど、今はよく分かる。それでヤケを起こして、クスリを使う量が増えた。当時は兄貴の子供が生まれたばかりでね。「ヤク中のおじさんなんて、いない方がましだよな。死んじまった方がいいよな、俺なんか」なんて風に、ネガティヴな方にばかり考えが落ちていく。
幻聴が酷くてね。夜中に、冷蔵庫の音が気味の悪いうめき声に聞こえてね。冷蔵庫に向かって土下座していたよ。「お願いだから、家族にだけは迷惑を掛けないで下さい」って、泣きながらね。思えばあの頃が、俺のどん底だったな。
当然その頃は金遣いも荒くなっていた。「どうしてそんなにお金が続かないの?」って、お母ンに聞かれても、シャブがキマっているから、正直に言えない。そのうちに問い詰められた。「脅かされているの?それともクスリでもやっているの?」とうとう最後に、正直に答えた。「クスリが止められなくなっちまったんだ」ってね。
「これまで好きなことばかりやってきたんだから今回だけは親の言うことをきけ」って、お父ンに言われた。もうヨレきってどうにもならなかったから、頷くしかなかった。
パソコンでアパリを検索したお父ンに、次の日に藤岡まで連れて来られた。
入寮を決めたのはその次の日だった。なぜその当日じゃなかったかというと、正直な話、施設に入寮するのに強い抵抗があった。なんとか親をだまくらかして、帰ろうと思った。帰る前に高崎に親が一泊するって聞いていたから「俺も高崎に泊まらせてくれ」
ってゴネたんだ。そうして高崎のホテルで考えに考えて観念した。ここで逃げたら何にもならない。自分の意志で薬物依存から回復してみたい。そう思って次の日アパリに戻った。
最後の最後まで俺の意志を尊重してくれた親の有難味が、今になって本当によく分かる。
病気に対する気付き
クスリをやっていた頃は、自分でコントロールしているつもりだった。いつだって止められると思っていた。でも毎回打つたびに「今回で止めよう」と思っていたのに、自分で止められたことなんかなかった。「こんなものいつだって止められる」なんて思い上がっていること自体が、病気の症状だったんだね。
知らないところで両親はかなり心配してくれていたみたいだ。うちの親は、自分から切り出すまでじっと見守ってくれるタイプ。でもさすがに心配して色々なところに相談していたんじゃないかな。打ち明けてからアパリに連れて行かれるまでが早すぎたよ(笑)。
施設に入寮することになって、友達に一人だけ電話したんだ。「今度、病院に入ることになった」って言ったんだけど、その友達にもこう言われた。「シンお前、気付いていないのか。お前は麻薬の依存症なんだぞ。俺は逃げも隠れもしない。いつだってこの住所に住んでいるから、きっちり治して帰ってこい」って。びっくりしたよ。気付いていなかったのは自分だけで、周りの人たちはみんな気付いていたんだ。
親や友達に言われて、自分が麻薬中毒だって初めて思った。それから施設にきて、仲間から色々な気付きを与えて貰っている。依存症っていう病気についてもここで知った。
居酒屋の仕事をやり始めたとき、3ヶ月クスリが止まっていたことがあった。でも、それは仕事に依存していたからだと思う。色々と吸収することがあって面白かったからね。でも慣れてくるとイライラや不満がつのってくる。気がつくとまたクスリを買いに行くようになっていた。職場の同僚と楽しんでいるフリをしていても心の底では楽しんでなんかいなかった。本当に腹を割って付き合えていたらクスリなんかやらなかったろうと思うよ。
この先クスリが止まっても、女とか仕事とか他のものに依存してしまうかもしれない。そうなりやすい性格だからね、俺は。覚せい剤を使わないことはもちろん大事だけど、施設での生活を通じて自分の病気の根っこの部分を見つめてみたいと思っている。
ミーティングについて
仲間の話を自分に照らし合わせて聴くようにしている。同じ問題を持ち、同じ経験をしている人たちだから、色々なことを気付かせてくれるよ。自分がいかに弱い人間で、どうでもいいようなことに囚われ続けてきたか。自分自身で考えられなかったことをほかの人がその人の言葉で語ってくれるたびに、ハッとさせられる。
結婚して子供までいて、それでも別れなければならなかった人の話。懲役でしんどい思いをしてきた人の話。つらい思いをしてきた人の話がやっぱりためになる。「やばかったな、おれも頑張らなきゃな」って思う。
「こいつらアホか?」なんて思ったこともあったよ。「そんな甘い考えでいいのかよ。遊びや保養に来ているわけじゃねえぞ。俺はクスリ止めたくて来てんだぞ」なんてね。でも、心の中で相手を裁くんじゃなくて、素直に聞く耳を持つことの大切さがよく分かってきた。
施設生活の長いような人ほどドキッとするような気付きを与えてくれることが多いんだ。
自分の内面を吐き出すことにも最初のうちは抵抗があった。人前でなにかを喋るなんて大嫌いだったからね。でも、自分から心を開いて相手を受け入れないと、自分も受け入れて貰えない。こちらから話そうという姿勢でいないと、話をして貰えないんだ。最近では、自分はどんな人間かということを分かって貰いたいと思うようになったよ。
昔の俺は、何に対しても負けたくなかった。威嚇ばかりして生きてきた。それを取り除きたいと思うね、今は。大切なことは勝ち負けじゃない。怒った顔よりも笑顔でいたい。
昔の俺は、調子のいいときはいいんだけど、落ちるときはどこまでも落ちてしまう性格だった。感情障害があったんだね、きっと。今は落ち着いている。たとえば今日、作り置きしておいた紅茶を誰かが全部飲んでしまった。頭にきたよ。昔の俺ならキレてたかもね。犯人探しとかしてたかも。でも今日の俺は「こんな所に置いておいた俺が悪かった」って
思えた。別の見方が出来るようになった。これはきっとミーティングの成果だと思うよ。
仲間について
仲間の存在は有難い。ときにはうっとうしいこともあるけど、やっぱり温かいね。そっとしておいて欲しいときにはそっとしておいてくれるし「あいつ今放っておいたら危ない」っていうときには、すぐに気付いて引っ張り上げてくれる。ミーティングで全部吐き出しているから、俺っていう人間を仲間が理解してくれている。だから「ありがとう」「ごめんなさい」が素直に言えるようになった。
以前の俺は、自分がヤク中になった理由を友達に責任転嫁していた。「あいつに注射を打たれたからクスリが止まらなくなった」ってね。でも、なんでもかんでも責任転嫁しちまうのがヤク中なんだ。「あの時に断れなかった自分が弱かった」って今では素直に反省して
いるよ。
一般社会では話せないからね、クスリの悩みなんて。健常者、女に対しては自分を卑下して素直に相談できなかった。「ヤク中の俺なんか・・・」って、自分を追い詰めるばかりで、病気を余計に酷くしてしまった。クスリの問題を相談し合える仲間ができた今は、心がすごく楽になった。
お友達ごっこをしにきたわけじゃないから、ずるずると甘え合いたくはないという気持ちはある。でも、うわべだけの仲間なんか欲しくはない。いい仲間ができたよ。先行く仲間、後から来た仲間・・・。仲間には本当に感謝している。
薬に代わる楽しみ
運動が好きだからね。施設のスポーツ・プログラムは楽しいよ。ソフトボールやったり、バトミントンやったり。今は結構、何をやっていても楽しいんだ。施設では決められたことしか出来ないけれど、ある程度は縛ってくれるものがないと人間は歯止めが利かなくなるからね。あれやりたい、これやりたいっていう欲求が全て思いのままになると、何もかもつまらなくなってきて、また俺はクスリに手を出すかも知れない。金がない人は金を欲しがるけれど、金の有り余っている人がかえってホームレスになったりするじゃない?
女はいいや、しばらく俺は。本音は欲しいよ、彼女が。でも、いま無理に彼女なんか作ったって、また潰れちまう。自分の中の色んな問題をうまく処理できるようになってから、一つひとつ再建していきたいと思う。
施設を出て、全ての制限がなくなったとき、何もできなくなってしまうかも。ハハハ・・・。そんな不安はあるよ。でも、この環境でも落ちようと思えばどこまでも落ちていける。どうせやるなら楽しくポジティヴにやりたい。このプラス指向が今まではできなかったんだ。
挫折から立ち上がる
やっぱり俺はどこかで勝負しているのかもね。人生そのものに負けたくないとは、いつでも思っているよ。でも、大切なことは勝ち負けじゃない。
親に対して自分の負けを正直に認めたときから、負けることで見えてくるものが沢山あるって思うようになった。あの時に死んでいたら何もなかった。施設に来て、どん底からはい上がろうとしている仲間たちと共に暮らすことで、人間として成長できていると思う。
いま一生懸命に自分を見つめているよ。もともと自分のことは全部自分でやりたい性格だから、他人が自分の不始末の処理をしているのが落ち着かない。借金の処理とかね。でも、自分が動くことでいろんなことをメチャクチャにしてきてしまったんだから、今は自分がじっとしていることが必要なんだと思う。客観的に自分をみつめることができるようになりたい。少しずつ、それができるようになってきたと思う。素直に謝ったり、感謝できるようになったからね。ミーティングのあとで「シン、こうしてみたらいいんじゃない?」なんて仲間が言ってくれる。「なるほど、そういう考えもあるか」って嬉しくなる。そんなとき、自分が回復しているって思う。一つの物事を思いつめる性格だったのが、視野を広げることができるようになったんだ。
昔、金沢でクスリを使っていた頃、お母ンが手紙をくれたことがあったんだ。「遠く離れているけれど、人の道から離れたことさえしていなければ、それだけでお母さんは安心だから」って書いてあった。その手紙のことをなぜか最近よく思い出すんだ。まっとうな考え方にようやく戻ることができたのかな。
思い出すことがつらいことが多いけど、それを忘れたら傲慢になってしまう。強くなりたいね。しっかりと前を向いて生きていきたい。昔の自分には戻りたくないね。
自立に向けて
親との連絡はスタッフがしてくれている。俺から親には連絡しない。でも「しっかりやって強くなって帰ってこいよ」っていう無言のメッセージはいつも感じているよ。
施設を出たら左官業の資格を活かして、京都の宮左官みたいな仕事をしてみたい。お父ンからも昔、勧められたことがあるんだ。
人間関係の苦手を克服するために、また接客の仕事をやってみたいという気持ちもある。人間関係って、大変なときは一番大変かも知れないけれど、面白くなってきたら一番面白いだろうからね。施設で仲間と関係が作れたら、そう思うようになった。
さんざん迷惑掛けた分、親孝行したいね。この施設に連れて来てもらった頃のやつれた両親の顔はもう見たくない。
親兄弟のためにクスリを止めるわけじゃないんだ。自分のために止め続けて、きちんとした生活をしたい。それができなかったから俺はここにいるんだ。
這い上がりたい。焦らず一歩一歩、着実にね。